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FLAG予備知識集 / 桝谷直俊
■「ヴェトナム戦争における報道 その2」

さて、前回の続きということでヴェトナム戦争における報道の話です。

ヴェトナムでは、旧正月(テト)は祝日になっています。そのためヴェトナム戦争中でも、テトの期間は暗黙のうちに南北ヴェトナム双方の間で休戦日となっており、戦闘は毎年行われていませんでした。ですが1968年の1月30日テトの日、北ヴェトナム軍とヴェトコン(共産軍)はこの暗黙の休戦を破り、南ヴェトナムの首都サイゴンを含む各都市に一斉攻撃を仕掛けました。これがテト攻勢です。
この戦闘では、サイゴンにあるアメリカ大使館までもが、ヴェトコンの決死隊20名の突入を受けて一時占領されました。そのときの激しい銃撃戦の模様は、その場に居合わせたTVクルーによって全世界に報道され、ヴェトナムにおけるアメリカの苦戦を強く印象づけることになってしまいました。
またテト攻勢の後、南ヴェトナムの警察庁長官が、捕らえた民間人のこめかみに銃を当てて路上で射殺する映像もTVで報道されました。その結果「南ヴェトナム政府に正義はない」「アメリカは、そんな国の味方をしている」ということも印象づけることになったのです。
ですがこの時射殺された民間人が、前日に警察庁長官の副官を、その妻子もろとも皆殺しにしていたヴェトコンであったという背景は、マスコミにはほとんど取り上げられませんでした(*1)。
さらに実際にはテト攻勢では、共産軍はアメリカ軍と南ヴェトナム軍の反撃で大損害を出して撃退されていました。軍事的には、共産軍によるテト攻勢は完全に失敗していたのです。しかしTVカメラの映像が、この戦闘を「アメリカの敗北」に変えてしまったのでした。

一方、以前より自分たちへの協力を拒否した民間人を虐殺したり、捕虜を拷問したりすることを行っていた共産軍ですが、完全に情報統制を行っていたためこれらの事実はほとんど報道されず、アメリカや国際世界に対して「北ヴェトナム人は被害者」「ヴェトコンは、悪辣な南ヴェトナム政府に対する正当なレジスタンス」という印象を与えることに成功したのです。

やがて国際的非難や、アメリカ国内の反戦運動の圧力などにより、アメリカはヴェトナムから撤退することになりました。もちろんアメリカ軍の被害の増大、軍事的行き詰まり、戦費の増大など、撤退の理由は他にも多数あります。ですがマスコミが及ぼした「悪影響」は極めて大きいものとアメリカ政府には考えられ、その後の従軍報道のあり方を考えさせることになりました。

(*1)仮に、この時処刑されたヴェトコンが殺人者だったとして、裁判も何もない略式処刑は不当であるという意見がある。その一方、ヴェトコンは軍服を着ていないため軍人とは認められず、その状態で軍人及び民間人に対する殺人行為を行ったのだから、ゲリラとして射殺することはジュネーヴ条約などでも認められているという意見もある。


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