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FLAG外伝 第1章 /野崎 透
2.戦いと報道(7)

 赤城が向かったのはスバシ郊外の国道上に設けられた検問所だった。
 スバシに流入する物資のほとんどはこの幹線を使って運び込まれていた。それだけに国道の検問所は、首都の生命線を守る防衛の第一線として特に厳重な監視体制が布かれていた。当然、取材に対しても特別に不寛容だった。
 つまり、誰であれ、ジャーナリストは、あからさまに目の敵にされているという事である。
 実際、この検問所の警備兵達は戦闘が起きても、ほとんどジャーナリストを守ろうとはしない。それどころか、下手をしたら、武装勢力の人間共々一網打尽に拘束れてしまう事さえあった。
 それでも、酒場に集うジャーナリスト達を完全に遠ざける事は出来なかった。幾度と無く戦場を駆け抜けてきた糞野郎どもの図々しさは、危険という言葉だけで追い払えるほど簡単なものではない。警備兵のあからさまな威嚇や頻発する爆破攻撃にもかかわらず、取材は続けられ、中国政府が限定的テロ攻撃と呼んでいる武装攻勢の本当の実体を伝える写真は世界中に配信され続けた。
 こうした危険と隣り合わせの取材は、まさにフリー・ジャーナリストの独壇場だった。政府が決めた安全基準に従わねばならない通信社やテレビ局、新聞社等のお抱えジャーナリストには、こうした取材はまず不可能だった。
 もっとも、たとえ政府の規制が無かったとしても、果たしてお抱えジャーナリスト達がどこまでやれるかは疑問だった。何故なら、戦場で取材を続けるには少なくとも死に対してある程度不感症になる必要があったからである。
 初めて戦場で死の現場に接したジャーナリストは、そのあまりの残虐さに最初は強い衝撃を受けるという。例外は無い。ところが、2年も3年も死を見続ける内に、最初の衝撃は風化し、いつしかどんな残虐も平気で正視出来る様になってしまうのである。
 それは異常と紙一重の心理状態なのかもしれない。しかし、一方で、異常は狂気を防ぐ唯一の方便である事も事実だった。
 そう、まともではない。ここでは、兵士達も、武装勢力の民兵達も、住民も、そしてそんな人間達を追い続けるジャーナリスト達も皆が異常だった。だからこそ、人間同士の殺し合いにも平気でカメラを向けられるのだ——検問所へ向かうタクシーの中で、赤城は幾度も自問した。
 窓の外には新市街の整然とした町並みが拡がっていた。その背後に、ラ・ポー寺院の巨大な伽藍が天を圧する様な姿を見せる。赤城は要塞の様なその威容にカメラを向けた。そして心の中で呟いた。
“そうだ、お前も……”

 検問所から少し離れたところでタクシーを降りると、赤城は警備兵達の様子を窺いながらゆっくりと近付いて行った。ゲートの前では8人の兵士がそれぞれ二人一組になって警戒に当っている。今は通り過ぎる車も無い。それでも兵士達の姿はどこか落ち着きが無かった。銃を強く握り締め、小刻みに周囲へ視線を走らせるその姿は、赤城に幽霊屋敷に迷い込んだ子供を思い起こさせた。
 取り敢えず兵士達を刺激しないためにカメラをそっと隠すと、赤城は吸いもしない煙草を口にくわえながらぶらぶらと検問所に近付いて行った。ふと、検問所の脇でカメラを構える人影が目に入ってくる。ソンタイだ。不自然なほど右肩を下げるあの独特の構え方は間違いない。
 兵士達はソンタイに向かって甲高い声で何か命じていた。恐らく、写真はダメだとか何とか言っているのだろう。それでも平然と警備兵達にカメラ向けるソンタイを見て、赤城は思わず火の点いていない煙草を口から離した。
 とうとう警備兵の一人が銃を向けてきた。ソンタイは何故なんだと言わんばかりに両手を大きく拡げると、そのまま踵を返して歩き出した。そのわざとらしいやり取りをみながら、赤城は小さくほくそ笑んだ——5枚は撮ったな……。
 振り返った時に気付いたのか、ソンタイはそのまま赤城の方に近付いて来た。赤城は軽く右手を挙げた。しかし、ソンタイは両手でカメラを構えたままほとんど表情を変えなかった。

「見ろ、まただ」
 検問所から少し離れた道路脇に赤城と並んで腰を降ろしたソンタイは、視線を検問所の方に向けながら吐き出す様に言った。
 赤城は誘われる様に検問所の方を見た。警備兵が一人、ゲートの手前に立って、近付いて来るトラックに向けて手の甲を掲げている。
「軍隊式らしい。奴ら、検問所で車を停めるのに、自分達にしか通用しない方法を使っているんだ」
 確かに、ソンタイが言う様に兵士の所作は、とても停車を命じるものには見えなかった。運転手も同じなのだろう。トラックは一向に減速する気配を見せない。
 突然、餌を求める小鳥の様に警備兵達が一斉にがなり立て始めた。その時になってようやくトラックは停車した。飢えた小鳥達はたちまちトラックの運転席を取り囲み、ドアに向かって銃を突き立てた。ドアが開き、中から両手を頭に乗せた運転手が顔を出す。
「普通に両手を拡げればいいのに、絶対に自分達のやり方を変えようとしない」
 ソンタイの言葉には、住民を平気で見下す兵士達に対する怒りが込められていた。いや、怒りだけではない。そこには明らかな苛立ちも隠されていた。
 赤城はソンタイの表情を窺った。そして、短く呟いた。
「事故が起きる……か」
「ああ……」
 短い返事と共に、苛立ちが不安へと変るのを赤城は見逃さなかった。ソンタイは顔を上げて、訊問を受けている運転手を見た。
「それなのに、こんな所から見ているしかないんだからな」
「カメラマンは伝えるのが仕事だ」
「仕事か……」手許のカメラに視線を落としながら、ソンタイは自分に問いかける様に呟いた。「そうだな。でないとこんな仕事、やっていけやしないな……」
 この時、ソンタイの顔から一瞬血の気が引いた様に赤城には見えた。
「もし、ここが自分の国でなかったら、そうも思えるかもしれない。いや、最初は思っていた。これまで見てきた他の紛争と同じ様に、直ぐに慣れてしまって、もっと取材に集中する事が出来るだろうってな。でも、違った。出来ないんだ。自分の国で、こんな殺し合いが行われているのを、ただ見ている。そんな事は……」
 語りかけてきた時と同じ様に、ソンタイは唐突に口を噤んだ。強ばった沈黙が陽に焼けた顔を覆い尽くす。
 目の前を通り過ぎた言葉を赤城は心の中で反芻(はんすう)した。それは、生まれた国を破壊されようとしている人間の苦渋を語っていた。
 カメラマンの多くは取材を通して不感症になっていく。戦争の悲惨すら、いつしか見慣れた光景の一つになってしまう。それはどうしようも無い事だと赤城は考えてきた。
 ところがソンタイの言葉は違うと言っている。不感症になれるのは自分が当事者ではないからだと。結局、自分達は競技場の死闘を観客席から見る傍観者に過ぎない。だからこそ戦争が生み出す惨状を兵器で正視出来る様になるのだと言っているのだ。
 これまで酒場の連中は、人一倍積極的な取材活動を続けるソンタイの姿に、漠然と、祖国が蹂躙される者の怒りを見ていた。しかし、それはどうやら間違いだったらしい。ソンタイを駆り立てていたのは、怒りではなく、むしろ自分自身に向けられた焦燥と苦悩だったのだ。
 これまで数々の悲劇を客観的な目で写してきた自分。しかし今、自分の生まれ育った国が惨劇に巻き込まれるのを目の前にして、どうしても不感症になれない自分に気付く。その矛盾は、自分が結局は一人の傍観者に過ぎなかった事を鋭く突きつけるものだった。真実を伝えると言いながら、その実、最前列から闘技場の死闘を眺める観客に過ぎなかった事を、今の自分の感情は示しているのだ。
 ソンタイにとって、その想いはまさにこれまでの自分を完全に否定するものだったのだろう。だからこそ、自棄とも取れる無謀な取材に自らを駆り立てたのかもしれない。
 ふと、リサの言葉が赤城の脳裏を過った。それはスバシの市場で大規模な自爆事件が起きた夜だった。この大事件を自分の国へ送るために酒場が何時に無い喧噪に包まれているのを見て、未だに人間としての純粋さを失っていないこのカメラマンは怒りを込めて呟いたのだ。「ここには世界中の狂気が集まっている……」
 矛盾する自分に苦しむソンタイの姿は、しかし、赤城にそんな狂気とは逆の正気を感じさせた。そう、少なくとも、まだ完全にはおかしくなってないから苦しむんだ、と。

 不安が現実となったのは、二日後だった。赤城がそれを知ったのは、世界中に配信された一枚の写真を通してだった。検問所の脇で盛んに燃え盛るバスを写した写真には、一つの衝撃的なキャプションが添えられていた。
“停車の合図を無視して検問所を通過しようとしたバスに対し、警備の兵士達は警告を発する事なく銃撃を加えた。バスには25人の子供と……”  しかし赤城にとってより衝撃的だったのは、片隅に添付されていたクレジットだった。そこ記されていたのは、ソンタイの名前だった


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